WILDSHADOW:the outer
CASE:Lieutenant Berlitz

原作・原案:ウィス
著:詠人不知





 有史以来、我々ヒトは空に憧憬を抱き、自ら翼を得るようなってから竜に祝福されるようになった。私の祖父もまた、竜に祝福されたのだという。空にまつわる御伽話か寓話か、そもそも竜は飛行家たちがでっちあげた概念であるか、私は知る由も無かった。祖父に続き父も空に駆り、私も戦闘機乗りという、言うなれば竜の祝福というよりもある種の呪いに掛けられたようなもので、どういう因果か知れたものではなかった。兎角、末代まで続くと考えるとなると、これほどの因果は無いと自嘲したくなるものだ。
 私がつけている腕時計もまた祖父から父、父から私へと受け継いだ代物であり、表面の硝子を見れば大きな傷跡がついているかわかるだろう。スティアフォース製のクロノグラフ「ACES−T(エイセス−T)」――祖父が空軍のパイロットとして従軍した折に備品として宛がわれた航空腕時計、今ではビンテージ物として扱われているようであるが、生憎、傷物として売れたものではないだろうと幼いながら私も感じていた。  唯々、これをつけていた祖父も父も、誇らしげであったことは覚えている。受け継いだ当初は難色を示していたにせよ、現に私も代々と受け継がれていくものだと実感が湧いたほどだ。今でもこうして針が動いている。
 硝子表面の傷については祖父が付けたものであるらしく、彼に問いても決まって「竜に付けてもらった」と自慢げに答え、私の頭を掻き回しつつその竜のことを語った。ヒース山の上空で竜と飛んだとか、湖中ビルが建つ前のシェダーの真ん中で咆哮を聞いたとか、友情の証として硝子に爪を立ててもらったとか、枚挙に暇が無いほど聞かされたものだ。
 しかし、祖父の物語を裏付ける出来事があった。昨年、秋晴れの昼、イーストポイント――ニーベン空軍のシェダー東部基地の管制塔で未確認機の侵入が確認され、急なスクランブルとして私の率いる第二師団第一〇一小隊「リンドヴルム」が呼集をかけられ、いつものF−17で離陸した。その当時、隣国のステルス機による領空侵犯と思われた。何せニーベンの東国境を超えてから西に百マイル、高度一万フィートの地点に機影が確認され、針路もシェダーに向け直進ときたものだ。皆が皆、泡食った。無論、私もだ。戦争が始まるのかと思いもしたものだ。
 リンドヴルム隊、及びAWACS(早期警戒管制機のこと)のみの編成に心細さもあった。私を含め、隊で出撃したのは相棒のミシェル・ミヅキ・フラットレイ少尉であり、他に敵の数機が散会しているという想定のもとで件の未確認機を同高度にて遠巻きにし、かつそれを中心に私達は五マイル圏内で旋回を続けた。
 AWACSに乗り合わせていた管制官――コールサインはグライアイ。彼が機内でレーダーと睨み合い、基地から交戦許可を享け、即座に私とミシェルへ未確認機の視認および危険を感知した場合における撃墜命令を送りつけた。――私や彼女のコールサインが何かって? 本題から少し外れるが、私はTACネームと同じようにリンドヴルム1、彼女はシェパーデス――醜い竜の王子と美しい羊飼いの娘ときたもんだ。元々、その羊飼いのコールサインもリンドヴルム隊の二番機につけられるという習慣があってな、おまけにミシェルが折り良く女ということで変な噂を立てられたり茶化されもした。「ようリンドヴルム1、羊飼いと寝たのか?」だの「グライアイよりリンドヴルム1、女房を大事にしろ」だの、笑える話だ。
 ミシェルの心境のほうは――いや、今はやめておこう。仏頂面でこの手の話題を歯牙にもかけやしないし、何せ機嫌を損ねては今後のフライトにも差し障る。その相棒も私と同じように空に惚れた口だ。野暮な口出しはできん。
 さて、本題に戻ろうか。私達はその未確認機を拝みに、視認できるまで間合いを詰めた。近づくごとに機体が揺れた。水平尾翼、垂直尾翼、そしてフラップ、二枚一対のそれらが震えだした。乱気流に入ったのかと最初は思ったが、未確認機が私の眼前まで迫ったときは揺れが激しくなったと思いきや、不思議と揺れも収まった。
 何より、その時の私は機体の揺れよりも眼前の未確認機を見て眼を疑っていた最中だ。二枚の翼をはためかせ、悠然と濃緑の巨躯を見せ付けるように、また鱗と思しき物が陽の光を浴びて光沢を放っていた。四足で、体の色を透き通らせたかの結うな翡翠色の眼もだ。信じがたいと思うが、未確認機――いや、正真正銘の竜が私達の眼の前を飛んでいたのだ。
 私はグライアイにありのままを報告した。「こちらリンドヴルムT、竜が一匹。本物の竜だ」と。彼が耳を疑ったのも事実だ。しかしそれが確信付けたのは私達の機体に搭載されているガンカメラの映像が即座にグライアイへと送信されて、一時は皆が皆、自分の頬をつねったりしたと思う。この時ばかりはミシェルも絶句したがね。  当然、形ばかりの警告を送ったが、相手は竜だ。無線の周波数はおろか、受信機など持っていない。ライトを点滅させてモールス信号も送ってみたが、竜に人間の符号が理解しているのか知れたものではなかった。尤も、竜の意思は我々に伝えられたものか知れたものではない。
 撃墜すべきか否か――常時、機関砲の銃爪を握っておけと言伝られたまま竜の周囲を飛ぶことになった私達は、操縦桿を握る手を一層と強張らせていた。悠然と飛ぶ竜がシェダー街へと直進する動機もわからず、その姿とは裏腹に荒らし回るだろうという不安に駆られた。要は外見だけで判断するわけもいかないということだ。  彼我識別信号も無ければ、赤外線追尾ミサイルも使えない。使える兵装はアクティブ追尾のミサイル二発と二十ミリ機関砲のみで、ましてやそれら二機分の兵装のみで竜を撃墜できるかどうか、今にしても疑わしい限りだ。竜の鱗や皮革は恐らく、下手な主力戦車の正面装甲より硬いものだろう。
 それらの懸念も数分の待機命令の解除に伴い、杞憂に終わった。無線機越しに誰かの話し声、ヘルメットのモニターには登録されていない周波数――いや、周波数の値ERR、すなわちエラーと表示されているにもかかわらず、その皺枯れた音声は鮮明に出力されていた。
「やあ、友よ。騒がせたようだね」
「その声はあんたからか――」
「如何にも。君達の機械を通じて話しかけている」
「――本当にあんたかどうか、確認だけはしたい。前足、いや手というべきか、それを横に振ってくれないか」
 直ぐに竜は手を横に振った。無線に無理やり介入して語りかけるというのは、どういう理屈かわからないにせよ、彼の声は私のみならずミシェルやグライアイにも語りかけているようだ。「シェパーデスよりリンドヴルム1へ、私も聞こえます」と。彼女の声を聞けば竜は喉を鳴らした。
「お嬢さんも飛んでいるのかい。こいつは驚いた。昔は、女は空を憎んでいたと聞いていたものだが」
「すまないが、ナンパは質問が終わらせてからにしてくれないか。あんたは誰で、どこへ向かおうとしている?」
 これもまた形式的な文言だ。名は何か、行き先は何処か、まず問うべきことを問い、彼が竜である手前、所属や出身は優先順位から除外した。
「私か? 私は――」
 ペイトン・ロディ――それが竜の名前であった。
「この名も、この地の者から譲り受けた。我々は名を持たぬ故、行く先々で名を譲り受けているのでね。友に逢いに幾世の空を越えてきた」
 その言葉に私は首を傾げた、幾つもの世界を越えたというのは抽象的な表現であろうかと。もとい眼の前にいる彼の存在自体が夢の産物であると合点する他は無かった。ミシェルもまた例外ではなく、私の後ろで呼吸を整えていた。
「そうだ、君達の名を聞くのがまだだったね。差し支えなければ聞かせてもらおう」
「私は、ニーベン空軍第二師団隷下第一〇一小隊のベイト・ベルリッツ中尉だ。後ろにいるのが同じ隊のミシェル・ミヅキ・フラットレイ少尉だ。もとい我々の隊はリンドヴルムという愛称が付いてるがね」
 無論、ペイトンを前にすれば、我々の飛び様は優雅ではなく忙しない。彼の周りを時速三百マイルで飛ぶのがやっとで、それを下回ればどんなに安定した機体であっても失速して地面とキスしてしまう。F−17ご自慢のクリップドデルタ翼でもね。彼みたいに悠然と飛ぶにはまたまだ先のことだろう。
 私が名乗ってからペイトンは黙った。ほんの数秒であったが、瞼を閉じ何か思い返していたようであった。ひとつ唸り声を上げてな。
「ベルリッツ、君はマーカス・ベルリッツの係累か?」
 驚いたことにペイトンは祖父の名を口にしたのだ。彼が祖父の言う竜であろうか、と。
「マーカス・ベルリッツは私の祖父だ。あんたは祖父に逢いにきたのか?」
「そうだ。マーカスは息災かね?」
「残念だが、二、三年は遅かったな。祖父は空に還った」
「そうか、風の便り通りか……」
 唸りに続き彼は寂しそうに咆哮を挙げた。竜なりの哀悼表現なのだろう。
「だが、ガキの頃からあんたの話は聞いている。あんたの爪で刻んだ時計も持っているぞ」
 嬉々として私は答えたよ。それと同時に、無くなった祖父の最期の言葉も思い出し彼に伝えた。
「祖父が逝く前にこう言ってた。『よう相棒、今度は翼が無くともそっちに行けるぞ』とね。まだ祖父はそっちに来てないかい? ああ見えても待ち合わせはルーズだったからな、今のうちに私のほうから詫びさせてくれ」
「それには及ばんよ。彼らしいと言えば彼らしい。あとペイトン・ロディの名もマーカスから譲り受けた」
 無線から漏れる微笑。彼の顔もまた牙を剥き出し、いわばはにかむと言ったところだろう。
「グライアイよりリンドヴルム1、師団本部より入電だ。ロディ氏の行き先までエスコートしろ。繰り返す、ロディ氏の向かう先までエスコートしろ」
「リンドヴルム1、了解――さて、ペイトン。ほんの少しだが、あんたと飛べそうだ」
 返事に代わり再度の咆哮。ペイトンは首とあご先で招いて直ぐ翼を畳み急降下した。私とミシェルも彼に続き、雲間に飛び込んだ。その時の時速が四百マイルだったか、巨躯ながら隼のように飛び込む彼の速度も同じだった。ついつい見とれて彼に肉迫しそうになったのは、今だから言える。
 雲間を抜けた先はリーズ山を越えたところにある森だった。高度千フィートから見てもさほど大きくない森であったが、レーダーに投影される地図を見てか、ミシェルが息を呑んで私にこう言った。
「ここは、レヴナントの森」
「死者の森か? ここから見ると綺麗な森にしか見えんがな」
 レヴナントの森――この手の噂や怪談はよくある話だ。我々の中でも、その付近を通った機体の操縦が利かなくなるだの、引き寄せられて墜落してしまうだの、今に至るまで飛行記録にはそれらの話は無かったが、噂が一人歩きしてしまっている。その森では死者の魂に逢えるという伝承から発展したかは、私の知るところではない。何より、今ここで書いている私は幽霊かね?
 ペイトンにとっては、手向けの意味でその空域に降りたのだろう。森の上空で翼を広げ幾度と咆哮を上げ、眠る魂、彷徨う魂に慰めの言葉でも送っていたのだろう。不思議と、先ほどから強張っていた私達の手も緩み、呼吸も安定し、彼の横を飛ぶばかりだ。
「なあ、ペイトン。祖父と飛んだ時もここに寄ったのかい?」
「ああ、こうして彼らの安寧を祈るのさ。生きとし生ける者、そして死せる者、共々にな。君達も彼らに祈ってくれるか? どんなことでも良い、思いが伝われば彼らも安らぐだろう」
「お安い御用だ――ミシェル、アレをやるぞ」
 アレとは、要は曲芸飛行だ。まず私の機体の左横にミシェルの機体。スロットルを上げ急上昇しながら先に私が左旋回、彼女が右旋回とお互いの航跡を交差させる。高度五千フィートを越えれば、そのままお互いの機体が反転したままゆっくりと下り、また航跡を交差させるのさ。この文を見ている皆さんはお気づきかもしれないが、私達は航跡でハートを象ったわけだ。操縦桿とフットバーの操作は勿論、絶妙なタイミングが成せる技だが、生憎と低高度だったから飛行機雲は残せなかった。
 機体を持ち直し、私とミシェルは森に向け敬礼した。その芸当にペイトンが唸り、「有難うな。彼らも安らぐことだろう」と礼を述べた。
「森に眠る魂も、エンジンの爆音で起こしてしまいそう」
 珍しくミシェルも冗談を飛ばすほどだ。その時の出来事が不思議で愉快なものであったに違いない。彼女は再び私の後ろに付き、互いに竜の横に並んだ。
「グライアイよりリンドブルム隊、遊ぶのも良いが少しはレーダーに眼を張ってくれないか。一応はスクランブルで来てるんだ。あと余り噴かすなよ、燃料が空になる」
「責任は頼んだ私に有る。どうか中尉を赦してやってくれぬか」
 混線であっても音声は鮮明のまま。ペイトンの助け舟もあってかグライアイは畏まり、私達の笑いを誘った。奴も頭を掻いてたと思うよ。管制マニュアルには無い事の連続だからね。
 さて、話はここから盛り上がる。レヴナントの森を越えて、また五千フィートにまで上昇して幾度か積乱雲を抜けて程なく西に向かえばシェダー街の上空だ。ペイトンは街の景色に驚いていた。祖父と飛んでいた頃は高層ビルやシェダー湖は無かったから当然だろう。特にシェダー湖に刺さっている湖中ビルに差し掛かる前に経緯を聞かれたが、その時ばかりは彼の口調も重々しかった。
 リリィという女が、大規模なテロでかつての中心街を沈めた――呪術とか全く知らない私だが、祖父とペイトンが共に飛んだ思い出の場所すら沈めたことに、当時の幼かった私も肩を落とす祖父を見つめる他がなかったことを思い出す。ペイトンの言葉を借りるとするならば「破壊と再生が同じ所に在る」と、私も頷いたものだ。
「そして、私はその女を赦そう。君達もまた、傷が癒えたのなら彼女を赦してやってくれ。この地は彼女の悲しみに満ちている」
「過ぎたことはしょうがないことさ――と言いたいところだが、正直に言えば複雑な気分だ。それにあんたも思い出の場所が沈められたんだ、怒ろうが誰も文句は言わん」
「私の憤りよりも彼女の悲しみが深いのだよ、ベイト。それに君が言うように、過ぎたことは仕方がない。向かい風が強かろうと、いずれは追い風になり、時には凪となり憩いの風となる空を、私は進むしかない。幾年、幾世を越えても私は風と共に進むことを望もう」
「悪いが、あんたの心境に達するにはまだ時間がかかる」
「それで良いのだ友よ。風と共に往け、そして知れ――私から言えるのはそれだけだ」
「そうだな、ペイトン――あそこに立っているのが湖中ビルだ」
 湖中ビルの上空は旅客機の航路でもあったが、グライアイの通達で国際空港の管制塔から厚意を受けた。燃料と滑走路も希望があれば貸すと、とんだ特等待遇を受けた感じだよ。竜という奴は、一人だけで街を青褪めさせる力があったものだ。
 ペイトンはまた翼を畳んで湖中ビルに向けて急降下した。幸い、湖面に至るまでの空域を飛んでいる民間機の姿は無く、私達だけの空間となっていた。湖中ビルを中心にして私とミシェルもまた旋回しながら降下した。気づけばペイトンは湖中ビルの真上に佇み、翼をはためかせていた。
「ペイトン、そこを宿り木にするには脆すぎるぞ」
 Hの周りを円で囲ったヘリポートも健在であったが、ペイトンの重量を支えきれなかっただろう。並んで飛んだ時、彼の頭から尾までの長さは私達二機でも足りないくらいで、幅にすれば翼を全開にすれば四、五機分だ。わが空軍のB−1戦略爆撃機と同じサイズで、重量も同じくらいだろう。空虚重量としても二十万ポンド、トンで言えば百トンの質量が湖中ビルの屋上に圧し掛かる。ペイトンの自重だけでも楽に崩れる。
 ペイトンはしみじみと上空からビルを見下ろしていた。彼も湖中ビルの脆さを理解したのだろう。リリィの呪いで沈んだ中、唯ひとつ残ったビルだ。改修工事などの記録は聞いたことがない。尤もシェダー湖の全域がグレイトロードの所有だ、私が操縦していたF−17も旧グレイトロードエアクラフト製でな。変な縁もあるものだと感じた。
「ベイト、この搭の中に生命の息吹が二つ感じられるぞ」
「ビルの中に侵入者か? 確か沿岸のどこからか渡れるポイントがあったな。沿岸部がデートスポットになっているから、興に任せてビルに入ってよろしくやっているんだろ」
「野暮なことも言うもんだな、君も。この搭からはやわらかい光のような力を感じる。この世界で言うところの呪術か」
「私は鈍感だからわからん――おい、ミシェル。お前のほうはどうだ?」
 ニーベン人家系の私とは違い、ミシェルはリョウラン人とニーベン人のハーフだ。母方がリョウラン人で「笹耳」と呼ばれている人種の血を引いている。いわばリョウランのエルフで、笹の葉のような耳を持っていることを由来とし、普通の人間よりか呪術の力を感じられる。レヴナントの森でも彼女は何かを感じて口にしたのも合点がいく。
「ええ、感じられます。しかし、なにかこう、切ない何かも」
「お嬢さんも感じるか。左様、この二つの息吹が悲しみを抱え、和らがせているようだ」
「そうですね。何か懐かしい感じもします」
 ペイトンとミシェルの二人が郷愁に耽り。私は機体を湖面すれすれにまで降下した。気まぐれに南の湖岸を通り越し、幾マイルを飛んでから反転して再びシェダー湖に進入した。スロットルを最大にまで上げ加速、湖上を音速超過で飛ぶという寸法だ。音速の壁を越え、機体後部に円状の雲を作り上げた瞬間、衝撃波で水柱も立ったこと立ったこと。
「たまには刺激も与えてやらんとな、ビルのお二人さんにね。退屈しのぎにはなっただろう」
「こちらグライアイ。リンドヴルム1、湖中ビルの近くで噴かすな。後で始末書だ」
「それは無いぜグライアイ、ちゃんとビルを避けたぞ。ちょっくら窓ガラスがガタガタしてるがな」
 もとい、湖中ビルまで五百ヤードを切ったところで減速したのさ。抜けてから数百ヤードを越えたところで再加速したがね。その時は歓声を挙げて私なりの挨拶を湖中ビルの二人に送ったということだ。始末書の話は割愛させてもらうが、ペイトンもミシェルも笑ったものだ、刺激云々も一理あると。
私が湖中ビルまで戻ると、いつの間にかレーダーの機影が増えて途端に賑やかになった。テレビ局のヘリやらグレイトロードのヘリやらが沿岸部に集まって、ペイトンを拝みに来たのは明白だった。形式上、「この空域は立ち入り禁止だ、速やかに退去願う」と彼らに無線と光信号で伝えたが簡単に引き下がる連中ではないのもわかっていた。
「リンドヴルム1よりグライアイへ、そろそろ燃料が空になる。緊急としてシェダー国際空港に着陸する。許可が下りるよう手配してくれ――ペイトン、コーヒーブレイクと行くか。ミシェル、物のついでだ、沿岸の連中に挨拶してやるか」
 空気を読んだのか、ペイトンがまず上昇した。いつにもまして翼をはためかせ空を仰ぎながらの咆哮。それに伴い私達は彼の両隣に位置し、彼を中心にして時計回りになるよう右旋回した。彼の上昇速度に合わせて操縦桿を左に傾け、絵面としては竜の周りに二重螺旋の軌跡を描く――確か、その場面も写真に撮られて新聞や雑誌に載ってしまったか。  ヘリの限界高度を越えれば、振り切るのは容易だ。シェダー国際空港までは二十マイル程で湖中ビルから南東に針路を取ればすぐだ。滑走路の距離は二マイル、幅は考えるまでも無く二機が同時に着陸できる。私達の着陸の後にペイトンが緩やかに降りる手筈を取った。その為、私とミシェルは先導しつつ、空港の着陸許可を待った。
 程なくして空港の管制塔から許可が下り車輪を下ろした私達は、滑走路の左脇にある進入角指示灯の左二灯が白、右二灯が白になるまで機首の角度を調節した。適正な進入角度が三度と数字を聞いただけでは浅いと感じるかも知れないが、案外、緩やかな下り坂を滑るような感覚だ。機首上げの指示が出るまでその角度を保てばいい。
 元々、旅客機を飛ばすための滑走路であるから私達の機体の着陸距離は半マイルにも満たなかった。空港の誘導員が牽引車に乗り合わせ、降りることを薦められたが私達は一時、断った。ペイトンを誘導する旨を伝えれば、誘導員は納得してくれたがね。
「さあ、ペイトン。降りて良いぞ。第二格納庫前で落ち合おう」
 私がペイトンに伝えるも、彼はすぐに降りなかった。滑走路の上を旋回し、何を思ったのか私達と同じように滑走して降りようとしていた。私達の指示を要せず、適切な進入角度で降り、翼を広げながら滑走していた。空港の管制官の弁では鮮やかな着陸だと絶賛したようだ。戯れのつもりで私達の真似をしたのだろう。牽引車で引っ張られながら彼の着陸を見た私とミシェルも感心した。
 一時だけであるが狭い操縦席から解放された私は第二格納庫前で煙草を燻らせていた。手の空いていた整備員からコーヒーを宛がわれ一服。ペイトンにはドラム缶に注がれたカフェオレときたものだ。
 ミシェルも窮屈なヘルメットから解放され、尖った耳を露にしている。何よりペイトンが驚いたのは、彼女がまだ若いという印象と小柄な体格であったことだ。祖父から何を吹き込まれたかは知らないが、ペイトンの認識では「女は空を憎むもの」のままであった。
「中尉も鈍感ですね。昔は、空の男は女房や恋人を置いていった時代ですから」
「それは判っているんだが、俺の考えとしてはこうだ。今みたいに女が易々と空に飛び立てなかった、いわば男系社会そのものだったからな。愛する男と飛べない上、死に様を看取れない――だから女は空を憎むようになったと考えれば辻褄が合う」
「案外、ロマンチストなんですね中尉も」
「ほっとけ」
 そうした談笑の中、幸い水を差す者は出なかった。空港のロビーではマスコミの記者たちが詰め掛けていたようだが、空港職員の助力で一人たりとも第二格納庫に訪れた者は居なかった。空港に降りた竜がいかに特ダネであるかは理解できるにせよ、単に立ち寄った客に対して騒ぎ立てるのも野暮な話だ。
 次に移った話題は私が腕に付けている例の時計だ。ペイトンからすれば麦粒同然であるのにいかにして爪痕を残したかの疑問から始まり、それはすぐに証明された。彼は指先を私の前に差し出し、祖父が時計をそこに擦らせたと口を添えたからであった。
「何かの縁だ。ミシェル、お前もなんか付けてもらったらどうだ?」
「遠慮しますよ。また逢える気がしますし、いずれは貴方の時計も頂きますから」
「口説いてるつもりか? 欲しければ俺を追い抜いて見せるんだな」
 ミシェルの言葉が冗談か否かはいずれでも良かった。ペイトンにまで鈍感と言われようが、私は煙草の煙を深く吸い込むのみだ。その手の話は私の柄ではないし、照れ隠しで躍起になっていたようなものだ。
 整備員の中にも手の空いた奴らが集まり、粗方はペイトンを拝みに来たのとサインをせがみに来たのが専らだ。私達の機体を牽引した誘導員までもこぞって私を通じて所望してきた。竜が珍しいのも理解できるが、彼らの中にカメラを持ち込んだ者も出て撮影の許可を求めだす有様だ。
「良いが、後日にイーストポイントまで出頭して検閲するからな――とは言うものの、どうするよペイトン」
「良いではないか、ベイト。マーカスと降りたことも思い出す。それに君達の翼が飛べるまで間もあるだろうしね」
 ペイトンはまんざらでもなく、歩み寄る者を快く迎え入れた。彼の意に反して、ペイトンの写真はもとより集合写真のネガやデータまでもが空軍の検閲に掛けられ没収となってしまった。ペイトンもそれを知ったら悲しむだろうし、また赦すだろう。整備員らの態度も現金なもので工具箱に爪痕を付けてもらったり、挙句には第二格納庫の外壁に浅めの爪痕を付けてもらったりと嬉々としていた。
 給油の間、民間機のフライトスケジュールも兼ね合わせてちょうど一時間か。ペイトンは落日を仰ぎ、次に向かう時間であると告げた。彼が言う幾世という意味も漠然と判り始めた私は、誘導員の一人に燃料補給が完了次第に離陸する旨を伝えた。
 竜というものは如何なる時、如何なる世を渡る。この世界のみならず、別の世界、そのまた別の世界に渡る。一種の渡り鳥のような存在でもあり、そして全てを超越した存在であると私は認識した。
 私達が離陸できる頃には陽も沈み切り、ちょうど新月であったのも覚えている。シェダー中心街の夜景を見てから帰るのも悪くはない――私がペイトンに告げると、彼もまたその時分の湖中ビルに用があると返した。
 共に離陸を終え途端、私の後方から光が差し込んだ。何事かと思い、後ろに振り向いた。風防窓から見えたのは、金色に輝くペイトンの姿であった。彼の尾に取り巻く対流ですら光を放ち、ホウキ星にも見えた。
「風が光っている」
 表現の上手さではミシェルが勝っているな。その表現を借りて、ペイトンは私達の前まで飛び込み、柔らかい光を浴びさせた。気が付いたら操縦席も光り始めてな、何より驚いたのは無線から懐かしい声が響いてきた。
「よう相棒、次はどこへ行く?」
 祖父の声だ。すぐにその声が消え、子供の笑い声に――幼かった頃の私の声だ。ミシェルのほうは別の声が聞こえたそうだ。各々と懐かしい声が機内に響き、視界も見慣れない景色が数秒だけ広がっていた。祖父が飛んでいたシェダーであると直ぐに判った。
「ペイトン、やっぱりあんたは凄いな」
「君も見えたか。記憶にある限り思い出は消えない」
 感極まった私はバレルロール――横転と機首上げでやる機動だ。横に螺旋を描くようにして飛んで、釣られてミシェルも別方向に同じ機動を取った。彼女も懐かしい声を聞いてハイになったわけだ。珍しく歓声を挙げてね。
 再び中心街上空に差し掛かると夜景もいつもと違って見えた。街の灯りはもとより、ペイトンと同じく柔らかい翠の光が街の全てを包んでいた。まるで一枚の葉に包まれるような輪郭でだ。
「やはり、あの光はあの二人の賜物だろうか――」
 その輪郭の中心は湖中ビル。屋上から伸びる翠の光はペイトンの体を包んだ。彼は幾度と頷き、その光りを引っ張るように急上昇した。
「――ベイト、ミシェル、しばしの別れだ。君達に良き風が吹くよう」
「見送りくらいはさせてくれ、相棒――ミシェル、上がるぞ」
 今度の上昇は速かった。推力を全開にした私達の機体よりも速く、翠の光に押し上げられるように上昇していくペイトンの体は透き通っていき、ひとつの光球になった。それは彼の咆哮と共にすぐに弾け、蛍の光のような粒子が街中に降り注いでいった。私達は、彼が消失した辺りに向け敬礼を送った。
 こうして私達の不思議な出来事は幕を下ろした。基地に帰還した時はえらく騒がれた。地上待機であった隊員に茶化されるわ、最後に帰還したグライアイに無謀な航行を咎められるわ、始末書も数枚書かされる羽目になった。ミシェルと仲良く始末書を書かされたときは特に茶化されたよ。「中尉、ミシェルのプロポーズ蹴ったんですか?」と、確か機体を降りてからの遣り取りであったから誰も聞かれていない筈だが、これも謎のままにしておこう。粗方、目星は付いているし、漏らした本人の笹耳も小刻みに動かしていたのもね。勿論、私を追い抜くまでは譲らないつもりだ。
 時計は相変わらず今も私に付き合ってくれている――たしかこの原稿も、「ACE−T」の復刻特集で載せるのを今になって思い出した。私の与太話に付き合ってくれた皆さん、有難う。貴方たちにも良き風が吹くよう祈らせてもらうよ。


――ニーベン空軍第一〇一小隊ベイト・ベルリッツ中尉
時計カタログ誌「クロノグラフィカ」一月号より抜粋




  了





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